| 1991年 |
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料理教室で教えてきたレシピを集大成した「ディナー とっておきの一皿」「デザート 魅力のレシピ」を出版。
カメラは長嶺輝明さん、デザイナーはレスパースの若山嘉代子さんで、以降パリに移ってからもこのお二人とのコラボレーションで本を作るきっかけになった記念すべき2冊です。撮影にあたっては若山さんと二人、3泊だけの大忙しでパリに飛び、40枚以上の皿をセレクトし、持ち帰ったものです。 |
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「時代という急流に船をこぎだして、勢いに身を任せて下ってきたような私ですが、これからは陸に上がり、靴ひもをしっかりしめて、自分の足であらためての一歩を踏み出したいと思います」このような手紙をお世話になった方々に出して91年4月パリに移住。 |
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1992年〜
01年
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CLASSY(光文社)にて、パリに移ってから初めての連載「フランスからの美味しい便り」が始まる。
第一回目のタイトルは 「"塩と水"が私の料理の基本になった」
留学時代、フランスの高級素材にばかり目を向けていた私が、フランスの塩の美味しさと野菜の力強さに目を見張ったところからスタートしています。
以降の連載
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| CLASSY |
(光文社) |
「これこそフランスの味」 |
| SPUR |
(集英社) |
「上野万梨子が魅せられたこだわりの一品」
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| FRaU |
(講談社) |
「女の厨房は大地」
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| FRaU |
(講談社) |
「上野万梨子 食卓の時間割」・・・など他。 |
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| 1994年 |
パリに移ってからの初めての著書「パリのお総菜屋さんのレシピ」出版。
「こんなお総菜がパリで買えたらいいのに」という、架空のお店「Jour et Nuit」のレシピ集。意外や、パリのお総菜屋さんはどの店も似たり寄ったり、同じ様なメニューばかり。ならばと、この本のデザイナーの若山さんと二人で好みの店を作ってしまった、というわけです。フランス料理はソースがつきものの高級なご馳走ばかりとは限らない、こんなカジュアルなレシピも魅力的だということを伝えたかった本でした。 |
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| 1996年 |

会場風景
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有楽町にあった当時のサザビー・ハウスにて、フランスの日常の基本食材やキッチンツールをテーマにしたエクスポ「JOUR ET NUIT」を編集企画。
当時まだ解禁になっていなかったフランスの塩を持ち帰って会場で味わってもらったり、地方のアルチザンが作るマスタードや木の実のオイル、ジャムなどを紹介販売。スタッフ一同大変な苦労を経て、ジャン=ポール・エヴァンのボンボンを小量ながらも日本に初輸入し、オープニングのレセプションにはお土産にお持ち帰りいただくことができました。 |
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| 1997年 |
フランスの地方にアルチザン達を1年半かけて訪ねる大型連載「女の厨房は大地」(講談社FRaU)がはじまる。
さすがのタイトルをつけて下さったのは編集長の原田隆さん。カメラマンは豪華にもジャン・マルク・タンゴゥ。コーディネーターは91年以来常にフランスでの連載の仕事をご一緒している石澤季里さん。美しい国フランスを東西南北くまなく巡る、ほんとうに恵まれた撮影でした。どんな山奥に行っても、そこに暮らす人々の暮らしに根付くアール・ドゥ・ヴィーヴル、直訳するなら生きるワザやセンスに触れ、フランスという国の美しさはこの国の人々の知性によってこそ保たれていうのだと感銘を受け続けた取材でした。 |
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| 1999年 |
ついに初めてのパソコン、マッキントッシュG3を手に入れる。
友人達に勧められてもまったくその気にならなかったこと何年か。そしてついに秋葉原で購入しました、G3。これを買うようにとの友達のメモを手に、何もわからず「ふ〜〜ん、けっこう、高いものなんだ・・・」。私には宝の持ちぐされと知ったのはだいぶ経ってからでありました。マックの仲間を増やそうとした友達の罠にはまったのかも。今も罠はとかれぬまま。送信した初メールはと履歴を見ると、家族を除いてはデザイナーの若山嘉代子さん。パソコン絶対はじめた方がいいよ、と永年待ち望んでくれていたからでした。 |